出定後語 訓読文

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出定後語 巻之上

日東 富永仲基造自訳

出定後語 序

基、幼にして閒暇かんかなり。儒のふみを読むことをたり。もって少しく長ずるに及んで、また閒暇なり。ぶつの籍を読むことを獲たり。もって休しぬ。曰く、儒仏の道もまたかくのごとし。みな善をつるにあるのみと。しかるに、その、道の義を細席に因縁するに至りては、則ち、 あに説なきことを得んや。即ち屬籍することなきことあたはざるなり。ここにおいてか、出定成りぬ。基、この説を持すること、かつ十年ばかり、もって人に語るに、人みな漠たり。たとひ、われ長ずること 數箇、もって頒󠄃白はんぱくの年に及ぶとも、天下儒仏の道、また儒仏の道のごとくんば、これ何の益かあらん。ああ、身の 側陋そくろうにしてめる。すでに、もって人に及ぼして徳することあたはず。またこれを限るに、 大故をもってして伝ふることなからんか。基や、いますでに三十もって長じぬ。また、もって、伝へざるべからざるなり。願ふ所は、即ちこれをその人通邑つうゆう大都に伝へ、及ぼしてもって、これを韓もしくは漢に伝へ、韓もしくは漢、及ぼしてもって、これを湖西に伝へ、もって、これを釈迦牟尼降神しゃかむにごうじんの地に伝へ、人をして、みな道においてることあらしめば、これ、死して朽ちざるなり。しかりといへども、何をもっていはゆる悪慧あくえにあらざるを知らん。これは則ち、かたし。これは則ち、かの 明者めいしゃ部索ぶさくして、これを楔󠄃フサぐを待つのみ。
延享元年秋八月           富永仲基識とみながなかもとしるす 

教起きょうきの前後 第一

いま、まづ教起の前後を考ふるに、けだし外道に始まる。その言を立つる者、およそ九十六種、みな天をむねとす。曰く「これをいんしゅすれば、すなわかみ、天に生ず」と。これのみ。

因果經いんがきょうに云く、「太子、いん雪山せっせんに入り、あまねく諸仙にふ。何の果を求めんと欲すと。仙人答え言ふ、天に生まれんと欲すがためと」。乃ちこれ。

衛世師えいせいし外道、仏の前に在ること八百年、これ最も久遠くおん。その最も後に出づる、阿羅羅あらら鬱羅鬱陀羅うつだらなり。けだし二十八天、非非想ひひそうをもって極となす。これ鬱陀の宗とする所、無所有むしょゆうてここに生まるとなせるなり。これもと阿羅の無所有をもって極となせるに上す。しかして無所有は則ちもと識處しきしょに上ず。識處は則ちもと空處くうしょに上す。空處は則ちもと色界に上す。空處・色界・欲界・六天、みなあひ加上かじょうしてもって説をなせり。その実則ち漠然、何ぞその信否を知らん。故に外道の所説、非非想ひひそうをもって極となす。釈迦文これに上せんと欲するも、また生天をもってこれに勝ちがたし。ここにおいて、上、宗七仏を宗として、生死の相を離れ、これに加ふるに大神変不可思議力をもって、示すにその絶えてなしがたきをもってす。乃ち外道服して竺民じくみん帰す、これ釈迦文の道のなれるなり。

釈迦文すでに没して、僧祇そうぎ結集けつじゅうあり。迦葉かしょう始めて三藏を集め、大衆だいしゅまた三藏を集め、分れて両部となって、のちまた分かれて十八部となれり。しかるにその言述ぶる所、をもって宗となす。事みな名数みょうすうにありて、全く方等微妙ほうどうみみょうの義なし。これいはゆる小乗なり。ここにおいて、文殊もんじゅの徒、般若はんにゃを作りてもってこれに上す。その述ぶる所、空をもって相となす。しかして事みな方広ほうごうなり。これいはゆる大乗なり。

智度ちど・※金剛仙こんごうせん、二論に云く、「如来この鉄囲山てっちせん外にありて、文殊及十方の仏と共に、大乗法蔵を結集す」と。乃ちこれ。

この時、大小二乗、いまだ年数前後の説あらず。その大乗を張る者は、即ち曰く、「得道の夜より、涅槃ねはんの夜に至るまで、常に般若を説く」と。

智度論の文しかり。論また迦文初成道の事を説きて云く、「この時、世界主梵天王ぼんてんおう名は式弃しき<および色界の諸天等、釈提桓因しゃくだいかんいんおよび欲界の諸天等、みな仏の所にけいして、世尊に初転法輪しょてんほうりん勧請かんじょうす。またこれ菩薩の念じて、もと願ふ所、およ大慈大悲の故に、請を受けて法を説く。諸法甚深の者は、般若波羅密はらみつこれなり。この故に、仏、魔訶般若波羅密経を説く」と。乃ちこれ。

その小乗を張る者は、即ち曰く、「転法輪経てんぽうりんきょうより大涅槃だいねはんに至るまで、集めて阿含あごんを作る」と。

智度論に云く、「大迦葉だいかしょう阿難あなんに語る。転法輪経よる大涅槃に至るまで、集めて四阿含を作る。増一阿含ぞういちあごん・中阿含・長阿含じょうあごん相応そうおう阿含、これを修跖路しゅとろ法蔵と名づく」と。乃ちこれ。

これおのおのその終始を命じて、いまだ年数前後の説にあらざるなり。故にその仁王般若にんのうはんにゃの序に云ふ、「世尊、前にすでに四般若を説く。三十年正月仁王を説く」者も、またただ泛爾はんじとしてこれを言ふ。阿含の後、正当三十年と言ふにはあらざるなり。しかるに法界性論ほっかいしょうろんこれを説きて云く、「十二年阿含を説き、三十年大品を説き、八年法華を説く」と。これ法華四十年余年の文のために転ぜられてしか云ふ。その実は非なり。ここにおいて、法華氏の言輿こる。この言に云く、「成正覚じょうしょうがくよりこのかた四十余年を過ぐ。無数の方便、衆生を引導す。わが所説の諸経、法華最第一。ただし菩薩のためにして、小乗のためにせず、観諸法の実相を観ず。これを菩薩の行と名づく」と。無量義経もまた云く、「四十余年、いまだ真実を顕はさず、種々の説法は方便力をもってす」と。これ見つべし、そのこれを四十余年の後に託して、従前の諸家を愚法にし、またこれを実相に託して、従前の有空うくうを破るを。これ法華氏は、乃ち大乗中の別部、従前の二乗をあはせてこれをせきする者なり。しかるに後世の学者は、みなこれを知らず。いたずらに法華を宗として、もって世尊真実の説経中の最第一となせる者は誤る。年数前後の説は、実に法華にはじまる。并呑権実へいどんごんじつの説もまた、実に法華にはじまる。広大の方便力、古今の人士を熒惑えいわくするは、何ぞ限らん。ああたれかこれをへいする者ぞ。出定如来にあらざればあたはざるなり。

解深密経げじんみつきょうに云く、「初め小乗、なか空教、のち不空」と。また法華氏の党なり。また案ずるに、三藏の目、始めて迦葉に起これり。しかして法華の文に三藏学者あり。ここに知る、法華経後に出でたるを。また案ずるに、法華はけだし普現の徒作る。大論の遍吉の語、見るべし。

ここにおいて、華厳けごん氏の言興こる。乃ちこれを二七日の前、円満修多羅えんまんしゅたらを説くに託して、もって従前の小乗をせきし、またこれを日輪のまづ諸大山王を照らすに譬へて、もって従前の大乗を斥し、特に一家の経王を作れり。誠に加上する者のさきがけなり。後世あるいはまたこの方便を信じて、この経を最上至極、頓之頓と曰ふ者は、また誤る。

舎利弗しゃりほつ目連もくれんは、異時異処、ともに仏法に入れり。しかるにこの会、即ち舎利弗等五百の声聞しょうもんあり。祇洹林・普光法堂は、この時並びにいまだ建立せず。しかしてこの文、つぶさにこれを述べたり。これみな作者の方便逗漏とうろ処。また案ずるに、華厳に諸法実相・般若波羅蜜の語あり。ここに知る、この経もまた二経の後に出でたるを。

ここにおいて、大集だいじゅう泥洹ないおん兼部けんぶ氏の言興こる。乃ちその二経を作為して、もって大小二乗を合はせ、かつもってその重きを涅槃ねはんに帰せり。その十六年始めて大集を説くと云ふがごとき、これ暗に般若の前に託して、しかも二乗の中間に出づるなり。かつその律を説きて、かくのごとき五部、おのおの別異なりといへども、しかもみな諸仏法界および大涅槃を妨げずと云ふがごとき、これ五部津の異を合はするなり。しかるに五部律はみな、もと八十誦はちじゅうじゅ中より出づ。後世五師、分れて五部となるも、仏の滅度を去ることいくばくぞ。ここに知る、この経、後に出でたるを。涅槃もまた同手の作なり。故に言語多くあひたぐいす。これ則ちこれを仏滅に託して、もってこの経の出でたる、年数の最後にあるを証し、またこれを譬ふるに醍醐をもってして、もってこの経に義、最も純粋なるを証し また毘尼びにならびに戒乗の緩急を挙げて、もって大小二乗のならびに遠ざけがたきを説く。後世、捃捨教くんじゅうきょうと名づくる者のごとき、これ兼部氏たるを知らざればなり。

按ずるに、法顕の伝に云く、「某の国は小乗の学、某の国は大乗の学、某の国は兼大小乗を兼ぬ」と。この兼と云ふは、乃ち兼部氏なり。また按ずるに、哀嘆品あいたんほんは新体の伊字をもって秘密の蔵に譬ふ。ここに知る涅槃もまた後に出でたるを。

ここにおいて、頓部氏とんぶの説興こる。そのかい経およそ二十。楞枷りょうがはその尤なるものなり。従前の諸経は、言みな煩重はんちょう、その趣牛毛ぎゅうもうにして迂遠うえんなるをもって、故にさらに激切の語を立てて云く、「一切の煩悩は、本来おのづから離る。断および不断と説くべからず。一切の衆生は、みなこれ一切、畢竟不生ふしょうなり。諸名字みょうじを離るれば、即ち一切法は唯一真心しんじん一念不生なり。即ちこれ仏、一地より一地に至らず、初地は乃ち八地」と。その言直切、また環回かんかいの説なし。、もって従前の因陀羅いんだらを破る。その窮まり離披りひして、菩提達磨ぼだいだるま氏となり、その東来して、楞枷りょうがをもって衆生の心を印す。また微とすべし。義によりて文字によらず。終始一字を説かず。実に禅家ぜんけ鼻祖びそたり。その窮まりて変幻奇怪、乃ち乾尿橛かんしつけをもって仏性ぶっしょうを語り、拭瘡疣しょくそうゆうして経巻をせきするに至る。これみないはゆる頓部氏なり。

ここにおいて、秘密曼荼羅金剛手氏ひみつまんだらこんごうしゅしの教へ興こる。

六度経に云く、「わが滅度の後、阿難陀をして所説の素 咀続蔵そたららんぞうを受持し、鄔波離うぱりをして所説の毘那耶蔵びなやぞうを受持し、迦多衍那かたえなをして所説の阿毘達磨蔵あびだつまぞうを受持し、曼殊師利菩薩まんじゅしりぼさつ、をして所説の大乗般若密多を受持せしむ。その金剛手菩薩こんごうしゅぼさつは、所説の甚深微妙の総持門そうじもんを受持す」と

その教へに云く、「世尊は一切智智を得て、無量の衆生のために広演分布し、種種の趣、種種の欲性、種種の方便道に随ひて、一切智智を宣説す。あるいは声聞乗道しょうもんじょうどう、あるひは縁覚乗道えんがくどうじょう、あるいは大乗道、あるいは五通智道、あるいは天に生まれ、あるいは人中および竜・夜叉・乾闥󠄂婆けんばだったに生まれんと願ひ、ないし魔雎羅伽まごらかに生まるる法を説く。おのおのかの言音に同じく、種種の威儀に住す。しかしてこの一切智智道は一味なり」と。また云く、「契経かいきょうは乳のごとく、調伏じょうぶくらくのごとく、対法は生蘇しょうそのごとく、般若は熟蘇じゅくそのごとく、総持門は醍醐のごとし」と。これ見るべし、この教へは諸家を摂するに一切智智をもってし、乃ちこれをそのいはゆる曼荼羅まんだらに合するを。つひにもって重きをそのいはゆる毘慮遮那阿字門びるしゃなあじもんに帰する者なり。おもふに、この経王は最後に出づ。不空師の云く、「経夾きょうきょう、鉄塔に蔵すること数百年、竜猛りゅうみょう始めて獲たり」と。しかるに竜猛の所説、一言のこれに及ぶものなし。ただ秘密の号、竜猛に出づ。故に後世崇奉のきわみ、けだしよりてもってしかりとするなり。これ諸教興起の分かるるはみな、もとそのあひ加上するに出づ。そのあひ加上するにあらずんば、則ち道法何ぞ張らん。乃ち古今道法の自然なり。しかるに後世の学者、みないたづらにおもへらく、諸教はみな金口親しく説く所、多聞親しく伝えふる所と。たえて知らず、その中にかえって許多あまた開合あることを。また惜しからずや。

経説の異同 第二

大論に云く、仏滅百年、阿輸迦王あしゅかおう般闍于瑟大会はんじゃうしつだいえを作す。諸大法師の論議異なり。故に別部の名字あり」と。また云く、「仏法五百歳の後を過ぎて、おのおの分別し、五百部あり」と。また婆娑ばしゃの序説に云く、「如来滅後四百年の初め、<古論には六百年に作る>、北印度の境なる、健駄羅けんだら国王、常に仏経を習ふ。日に一僧を請じて、室に入れ法を説かしむ。僧説同じきことなし。王もって深く疑ひ、脇尊者きょうそんじゃに問ふ。尊者答えて曰く、「如来世を去りて、歳月逾邈ゆみょう、弟子部執ぶしゅうし、聞見によって矛盾をなす」と。よりて問うて曰く、「諸部の立範りっぱん、いづれか最も善か」と。答へて曰く、「有宗に超したるはなし」と。王の曰く、「この部の三藏、いままさに結集すべし。すべからく有徳を召して、ともにこれを詳議すべし」と。ここにおいて、世友等しよう五百人、三藏を釈す。およそ三十万頌、即ち大毘婆沙だいびばしゃこれなり」と。大論にまた云く、「問ふ。経に五道ありと説く。いかんぞ六道と言ふ。答ふ。仏去りて久遠くおん、経法流伝るでんし、五百年の後、多く別異あり。部部同じからず、あるいは五道と言ひ、あるいは六道と言ふ。もし五と説く者は、経文において文を廻して五と説き、もし六と説く者は、仏経において文を廻して六と説く。また魔訶衍まかえんの中、法華経に六趣の衆生ありと説く。もろもろの義意を観るに、有六道あるべし」と。法顕の伝に云く、法顕もと律を求めて、しかも北天竺の諸国、みな師師口伝し、本の写すべきものなし、ここをもって遠歩し、乃ち中天竺に至る。ここにおいて一部の律を得たり。これ魔訶僧祇衆まかそうぎしゅうりつなり。また一部の抄律を得、七千なるべし。これ薩婆多衆律さっぱたしゅうりつなり。またみな師師口あひ伝授して、これを文字に書せず」と。また伝ふ、「法顕その時この経を写さんと欲す。その人の云く、これ経本なし。ただ口誦するのみ」と。

いまこの六者をもってこれを推すに、ここに知る、仏滅よりして久遠、人に定説なく、また依憑えひょうすべきのふみなく、みな意に随ひて改易し、口あひ伝授し、むべなるかな、一切の経説、みなその異にたへず、またその信従すべからずことかくのごときなり、禅家の言に曰く、不立文字ふりゅうもんじと。意、あにここにあるか。また婆沙ばしゃを閲するに、その解義げぎに必ず数説を挙げ云く、其の故に、またその故にと、畢竟ひっきょう、これ定説なければなり、また迦葉波かしょうばの三藏を集むることを、大論にはみな誦出ずしゅつと云ふ。また知る、これただ口誦くじゅに託するを。

金剛般若こんごうはんにゃに云く、「一切諸仏および諸仏法は、みなこの経より出ず」と。無量義に云く、「われこの経を説くこと、甚深じんじん甚深じんじん。令衆をして無上菩薩をなさしむるが故」と。金光明こんこうみょうに云く、「十方の諸仏、常にこの経を念ず」と。大品だいぼんに云く、「一切の善法、助道法、もしくは三乗法、もしくは仏法、これ一切法。みな般若波羅密はんにゃはらみつの中に摂入しょうにゅうす」と。また云く、「声聞乗しょうもんじょう学ばんと欲する者は、般若を学ぶべし。縁覚乗えんがくじょうを学ばんと欲する者は、般若を学ぶべし。欲学菩薩乗ぼさつじょうを学ばんと欲する者は、般若を学ぶべし」と。華厳に云く、「一切世間もっろもろの群生ぐんしょう、声聞道を求めんと欲するあることすくなし、縁覚を求むる者、うたたまた少し。趣大乗だいじょう趣く者、甚だ遇ひがたし。大乗に趣く者は、なほ易しとなす。よくこの法を信ずるは、甚だ難しとなす」法華に云く、「わが所説の諸経は、法華最第一」と。法鼓ほうくに云く、「一切の空経は、これ有余うよの説、ただこの経あり。これ無上の説」と。およそかくのごときの類、何ぞ限らん。みな各部みづから張る者の説なり。

またその勝鬢しょうまんに、「魔訶衍まかえん二乗の法を出生するは、阿耨池あのくち出八大河はちだいがを出だすがごとし」と云ひ、、および文殊問もんじゅもんに、「十八およびもとの二、みな大乗より出づ」と云ふがごときは、則ちこれ大乗、小乗をもって所目となせる者。またその法華に、「四十余年、いまだ真実を顕わさず」と云ふがごときは,則ちこれ大乗、小乗をもって仮権けごんとなせる者なり。またその華厳に、「仏、成道第二七日に、円満修多羅えんまんしゅたらを説く」と云ふがごときは、 則ちこれ大乗、小乗をもって後説となせる者、その実はみな大乗、小乗を誘ふの説なり。後世の学者はこれを知らず、云云うんぬんする所ある者は誤まる。余かって云く、「大小部乗、おのおの経説を作りて、皆上、これを迦文に証す。また方便のみ」

むかし、秦緩しんかん死す。その長子はその術を得て、医の名、秦緩に斉し。その二三子の者は、その忌にたへず。ここにおいて、おのおの新奇をなし、これを父に託して、もってその兄に勝らんことを求む。その兄を愛せざるにあらざるなり。おもへらく、もって兄に異なることあらざれば、則ちもってもって父に同じきこと得ずと。天下いまだもって決することあらざるなり。他日、その東隣の父、緩がちん中の書を得て、出してもって証す。s9いかしてのち、長子の術、始めて天下に窮まる。このこと、毛利仁の寒檠膚見かんけいふけん、これ則ち、これに似たり。

如是我聞にょぜがもん 第三

如是我聞、とは何ぞ。後世の説者、みづから我とするなり。もんとは何ぞ、後世の説者、伝聞するなり。如是にょぜとは何ぞ。後世の説者、伝聞かくのごときなりと。契経かいきょうにあるいは云く、「阿難座に登りて我聞と称す。大衆悲号す」(処胎経しょたいきょう)と。非なり。「阿難は親しく如来に受く。我聞一時がもんいちじ云ふべからず。あるいはこれを解して云く、「阿難は得道の夜生まる。仏に侍する二十余年、いまだ仏に侍せざる時、これ聞かざるべし」と。また非なり。しからば則ちすでに聞くののち、何をもってまた聞くと言うや。これ不通の説なり。 報恩経ほうおんきょうに云く、「阿難四願をなす、いまだ聞かざる所の経、願はくは仏重ねて説け」と。また云く、「仏、口、ひそかにために説く」と。また云く、「阿難聞かざる所の経を、諸比丘の辺に従ひて聞き、あるいは諸天ありて阿難に向かひて説く」と。処胎経しょたいぎょうは則ち云く、「仏、金棺こんかんより金臂こんぴを出だして、重ねてために説く」と。、金剛華経こんごうげきょうは則ち云く、「阿難、法性覚自在王三昧ほっしょうがくじざいおうざんまいを得たり。故に、如来が前に説く所の経は、もな憶持おくじし、親聞しんもんと異なるなし」と。涅槃経ねはんぎょうは則ち云く、「われ涅槃の後、阿難いまだ聞かざる所の者を、弘広菩薩ぐこうぼさつは広く流布すべし」と。ああ、何ぞ解の不一なる。長と説き短と説き、要あうるにまたこの失を保護するに過ぎず。笑ふべし。経説、多くは仏後五百歳の人の作れる所、故に、経説に五百歳の語多し。大論また云く、「五百歳後、おのおの分別して五百部あり」とはこれなり。

その仏経の初首に何らの語をなすと云う者は、これ当時の俗説にして、もと大論に出づ。涅槃は則ち特にこれをるのみ。涅槃の出でたるは、実に大論後る。大論は一言も涅槃に及ばず。故にこれを知る。後世の学者はこれを知らず。みないたづらにおもへらく、数万の経説は、みな阿難の集むる所なり。ああ、またまた何ぞ愚かなるや。大論に云く、「間ひて曰く、もし仏、阿難に嘱累ぞくるいせば、これ般若波羅密はんにゃはらみつを、仏の槃涅槃はつねはんののち、阿難、大迦葉とともに三藏を結集す。この中に何をもって説かざると。答へて曰く、魔訶衍まかえん甚深じんじん、難信難ぎょう、仏在世の時すら、もろもろの比丘ありて、魔訶衍を聞くに、不信不解ふげ、故に座よりしてつ。何ぞいはんや仏涅槃ののちをや。ここをもっての故に説かず」と。また云く、「人ありて言ふ、魔訶迦葉まかかしょうのごとき、諸比丘と耆闍崛山ぎしゃくせん中にありて、三藏を集む。仏滅度ののち、文殊尸利もんじゅしり弥勒みろくの諸大菩薩もまた、阿難とこの魔訶衍を集む」と。また「阿難は衆生の志業の大小の籌量ちょうりょうするを知る。この故に声聞人中において魔訶衍を説かず。説けば則ち錯乱さくらんして弁をなす所なし」と。

これを見るべし、当時すでにこの疑ひあるを。それ、魔訶衍の法は、当時の諸賢聖、親しく仏説を聞くも、なほかつ信解しんげすることあたはず。後世かへって伝ふることあるは、これ乃ち疑ふべし。かつこれを言ふに、阿難は則ち面柔めんじゅうの人のみ。おのれ独り至道を知り、これを声聞人中に説かず。乃ち忍黙面諛にんもくめんゆして、もってこれを讃す。これ何をもって仏子となさん。これみな不通の説、分明に飾辞しょくじして、これを解く者なり。その実阿難集むる所は、則ちわづかに阿含の数章のみ。説は下に見ゆ。その他は則ちみな後徒の託する所、ただに阿難に出でざるのみにあらざるなり。故にまた、あるいはこれを解きて云く、「後時、文殊もんじゅは諸菩薩及大阿羅漢だいあらかんを召して大乗法蔵を結集するに、おのおの言ふ、某の経はわれ仏より聞けりと。須菩提しゅぼだい言ふ。金剛般若こんごうはんにゃはわれ仏より聞けりと。故に知る、阿難に局せざるを」と。これややこれを得たり。しかるに経説はみな後徒の託する所、何ぞその諸菩薩大阿羅漢のなせるにあらんや。またこれを失せり。また、処胎経しょたいきょうに云ふがごとき、「阿難最初の出経は、第一胎化蔵たいけぞう・第二中陰蔵ちゅういんぞう・第三魔訶衍方等蔵まかえんほうどうぞう、第四戒律蔵かいりつぞう、第五従十住菩薩蔵じゅうじゅうぼさつぞうかいりつぞう・第六雑蔵ぞうぞう・第七金剛蔵こんごうぞう・第八仏蔵ぶつぞう、これを経法具足となす」と。これは則ち大小二乗一時に出だす所となす。また如是我聞の極みなり。

須弥諸天世界しゅみしょてんせかい 第四

須弥楼山しゅみろうせんの説は、みな古来梵志ぼんじの伝ふる所なり。迦文かもん、特によりてもってその道を説くは、その実、渾天こんてんの説をとなせるなり。しかるに後世の学者、いたづらにこれを張りてもって他を排するは、仏意を失せり。何となれば則ち、迦文の意はもとここにあらず。民を救ふの急なる、何の暇あってその忽微こっぴを議せん。これいはゆる方便なり。しかるに儒氏もまたこれを知らずして曰く、「釈迦、須弥を作りて、その説合わず」と。ああ、迦文はあに儒固じゅこのごとくしからんや。仲尼ちゅうじ春秋しゅんじゅうを作るや、、また日食のつねたるを知らず。これ何をもってこれを解かん。それ日月の推歩は、天官星翁のつかさどる所、そのこれを知らざるに害なし。かへってこれを是非する者は、みな小知の人なり。近世またこれをよこしまに取りて、もって渾天の説に合わす者あり。そのろうますます甚だし。笑ふべきのみ。その諸経論の所説に異同ある者は、みな異部の名字にして、おのおの一家の言を立つる者のみ。

その地の深さを説くがごとき、増含ぞうごんは六十八千由旬ゆじゅんとなし、俱舎くしゃは八十万千由旬となし、起世きせは六十万由旬となし、菩薩蔵ぼさつぞうには六十八百千由旬となし、楼炭ろうたんは八十憶由旬となし、光明こうみょうは十六万八由旬となす。これ何ぞその定説なき。またその須弥山半しゅみせんばんを説くがごとき、長含ちょうごん因本いんぽん大論だいろんは四万二千由旬となし、対法たいほう俱舎くしゃは四万由旬となす。また、何ぞ、その定説なき。また、その四洲の寿を説くがごとき、長含・楼炭・俱舎、おのおの不同なり。須弥しゅみ四宝しほうももまた不同なり。また、その柊羅宮しゅらぐうを説くがごとき、起世は須弥の東となし、十地は須弥の北となす。またその地獄を説くがごとき、婆沙ばしゃ有説うせつ有説、また一定なく、あるいは云く、「八熱はちねつ八寒はちかんおのおの所属あり」と。大論は則ち云く、「八寒はこれ八熱の眷属けんぞく」と。所処名号、諸経論にまた一定なし。要するにみな異部の異言、必ずしも牽合けんごうせざるも可なり。

また、その世界建立を説くがごとき、俱舎は水論前にあり、楞巌りょうごんは金論こんりん前にあり。また五輪の次序、空・風・水・金・地を、増含は地・水・火・風・金となし、また光音天こうおんでんを、長含は命尽きこの間に来生らいしょうすとなし、増上ぞうじょうあひ謂ひて言ふ、閻浮地えんぶちに至りて地形を観んと欲すとなす。余経には、歿して大梵処だいぼんしょに生まれ、漸漸下生ぜんぜんげしょうして人趣にんしゅに至るとなせり。またその三災を説くがごとき、長含・起世は刀兵とうひょう飢饉ききん・疫病えきびょう、俱舎・婆沙は、刀兵・疫病・飢饉、瑜伽ゆが対法たいほうは、飢饉・疫病・刀兵と、次序おのおの不同なり。要するに、みな異部の名字にして、その和会しがたきに論なし。

また、その天を説くがごとき、薩婆多さっぱたは十六、経部師きょうぶしは十七、上座部じょうざぶたは十八、婆沙は日月にちがつ星宿しょうしゅく常憍じょうきょう持鬘じまん堅首けんしゅ四天してん、合わせて三十二種となす。 涅槃有四種、而大論有三種、又如其説四天王宮城、楼炭俱舎大論各々不同、又如其説三梵、因本対法婆沙、相去倍高、皆有住地、俱舎薩婆多、合為一処、又仁王有十八梵而瓔珞又禅禅有梵王、不同他経有一梵王、又如其大論以魔王為欲界主、梵王為三界主、而復以魔醯首羅為三界主、又論大千主、為初禅梵王、華厳則為魔醯首羅、又如其説魔醯首羅、又如其説魔醯首羅為第六天、或為色究竟、又如其或為梵天那羅延天魔醯首羅一体三分、又如其楞巌、先善見、後善現、而俱舎正理六十華厳反之

又如其論無色界身処、婆沙俱舎瑜伽経部成実為無、起世増含華厳仁王化他大衆為有、又如其説人非人、金光明為結八部、又如其説阿修羅、仏地論為天、対法為鬼、正法念経為鬼畜二趣、伽陀経為三趣摂、又如其婆沙云、有余部立阿素洛為六趣、非也、契経惟説五趣故、大論云、問経説有五道、云何言六道、答、仏去久遠、経法多有別異、唯法華経、説有六趣、義意応然、要亦皆異部所命、固非一音所演出也

独明代志磐師、解之以三意云、一者、仏赴機所説不同、二者、結集部別不同、三者、伝訳前後不同、嗚呼、是何妄之甚、如為仏赴機而説之、是乃妄語、亦何示人以毘尼、又以為結集部別不同乎、是何在其為仏所説、経説亦何足取信、何其濫也、又以為伝訳前後不同、是訳師亦為難信也、夫般若之為滅度、或為円寂、是則在訳師知解、無論其有不同、如以其名物度数前後不同解之、是何漠然、是何足以為説、要皆不知之云爾、其実不然、

釈迦譜亦云、経変華戎、訳人斟酌、出経之人、各有所受故、住住不同已、夫史漢延書、猶分糅相反、況万理之外、千歳之表哉、明昔者、固宜択善而従、嗚呼亦何妄也、如為択善而従、是己自高以出経典者也、亦何足以為経典、要亦首鼠之説、窘于其有不同云爾、是実古今一大疑城、出定経典出、而後始瞭然也、

世界之説凡五、一須弥世界、是梵志初説、蓋其本也、其所謂小千世界、中千世界、三千大千世界、又三千世界外、別有十世界者、是皆以後加上者也、梵網所謂蓮華蔵世界者、又一層加上之説、其広大則至華厳世界海面極矣、世界之説、其実漠然、不過以語心理、亦何知然否、故曰、世界随心起、是也

三藏阿毘曇修多羅伽陀 第五

三藏、小乗之名、出于迦葉、大論云、仏在世時、無三藏名、大迦葉等、集三藏、又云、三藏是声聞法、魔訶衍是大乗法、法華経云、貧着小乗三藏学者、是也、是竜樹時、三藏之名、属于小乗、天台四教、依以立蔵者、得之、澄観師云、大乗亦有三藏、是自後世之義、言有物也、又普超経、入大乗論、謂三乗為三藏者、乃別義、非此謂也、按増一序品云、契経一蔵、律二蔵、阿毘曇経為三藏、出曜経云、仏在鹿苑、告五比丘、此苦本原、所未見未聞、広説此法、為契経蔵、仏在羅問城時、迦蘭陀子須陳那、出家学道、最初犯罪、故説戒蔵、仏在毘舎離、見跋耆子本末因縁、告諸比丘、諸々無五畏恚恨之心者、便不堕悪趣、亦復不生入地獄中、広説如阿毘曇、大論亦云、阿難説、仏在波羅奈、為五比丘、説四真諦法、是名修妬路蔵、憂波利説、仏在毘舎離、須隣那初作淫欲、以是因縁、初結大罪、如是八十部、作毘尼蔵、阿難説、仏在舎婆提城、告諸比丘、五怖五罪怨不除不滅、此身心受苦、後世堕悪道中、如是名為阿毘曇

今以是文推之、三藏之義加知、三藏、蓋本一書名、皆取類近似賛之、其初迦葉等所誦出、纔一二三章、各々命以類、而仮別之、非如後世有四阿含五部律種種昆曇類分捴命以此名者比也、其有四阿含五部律種種昆曇者、皆後世僧迦之増多也、故婆沙云、修多羅中、多説心法、昆尼之中、多説戒法、阿毘曇中、多説慧法、而或亦互兼、但従多分故名之、是知三蔵本但一書名、各命其所誦以別之、其実義亦互兼、後世難于阿毘曇独無経者、不知之也、婆沙云、問、誰造此論、答、仏世尊、問、若爾、此論何故伝言迦多衍尼子造、答、由彼尊者受持演説、広令流布、是故、此論名称、帰彼、然是仏説、是得之矣、其実本但命為跋耆者、而後尼子等、広益説之、如以其後出疑之、唯経律亦皆後出也

大論云、三種法門、一者、蜫蜫*勤門、二者阿毘曇門、三者空門、蜫蜫*勤有三百二十万言、仏在世時、大迦旃延之所造、阿毘曇、仏自説諸法義、或仏自説法名、又云、如仏、直説世間第一法、不説相義、一一分別相義、是名阿毘曇門、今以是文推之、阿毘曇、蓋解釈相義之名、其訳以対法、亦以其対法而分別之也、其以得慧法者、亦分別相義是慧法也、瑜迦論亦云、問答決択諸法性相故、名阿毘曇、是得之矣、故雖仏説、其分別相義者固是阿毘曇、非独概契経也、故楞厳云、此阿毘達磨、十方薄伽梵、一路涅槃門、是可見也、又十二文教中所謂優波提舎亦同其義、大論云、仏所説論議経、及魔訶迦旃延所解修多羅乃至像法凡夫人、如法説、亦名優波提舎、是知亦同其義、後世訳以論議、独以契経属仏者、此之儒家経伝之義、其実未為得矣

修多羅之義、取之線、線取之能貫穿、何也、蓋経説之本体在伽陀、故数経説以幾偈、涅槃亦云、除修多羅及緒戒律、其余有説四句之 是名伽陀、修多羅之為線、取之以此貫穿、衆偈次第皆依焉、仏地論貫摂為義、雑集論綴茸云者、皆得之矣、是修多羅之為線也、其訳以契経者、亦此之儒家之書、義意大別、修多羅有総有別、十二分教中修多羅、是与伽陀等対、別也、一切経蔵 称修多羅者、総也、何也

伽陀唯誦読之便、而文理所属、却在修多羅也、然則契経之本体在伽陀者何也、是支那教学、必託之操縵󠄄、詩書易管仲老聃之書、皆託言韻語、本朝神代古語、及祝詞、亦皆誦読之便者、三国俱一其致、何也、口口相伝、説誦之際、固不能不然、且神祇亦所楽也、仁王般若云、普明王依七仏教法、請百法師、設百高座、一日二日講設般若八千憶偈、是可見也、是知契経之本体、実在伽陀、而但取之誦読之便也

長水師解之云、経多立頌、略有八義、一、少字摂多義故、二、讃嘆者多以偈頌故、三、為鈍根一重設故、四、為後来之徒故、五、随意楽故、六、易受持故、七、増明前説故、八、長行未説故、是但第五六義得之、其余皆口弁也、桉付法蔵経云、馬鳴於果華氏国、遊行教化、作妙妓楽、名頼吒和羅、其音清雅、宣説若空無我之義、時此城中五百王子、同時開梧、出家為道、増一賢愚経云、迦葉仏時、均提出家、少年声好、善巧讃唄、人所楽聴、毘尼母経云、不聴高声作歌音誦経、有五過患、同外道歌音説法、是知当時経説全託歌音、不啻誦読之便

九部十二部方等乗 第六

九部十二部、是共指一切経蔵之辞、後世或就分大小乗者、誤矣、何以知之、涅槃云、<聖行品>、従仏出十二部、是言自仏出一切経蔵、故下文揀異之云、出方等、又如四相品以九部対方等大乗亦然、法華亦云(方便品)、我此九部法、随順衆生説、入大乗為本、是共指一切経蔵、未揀異大小之辞、可見也、故大論有大小乗共九部之説、亦足以発、又涅槃云小乗無方広部者、是言小乗独無方等、其実砭小乗之言、雖小乗亦随分有方広、後世小乗亦有十二部之説、得之、是方広則独属之大乗云爾

涅槃又云、十一部経、二乗所持、方等部為菩薩所持、摩得勤伽論亦云、唯方広部、是菩薩蔵、十一部是声聞蔵、亦同

方等、乃方云、其義無別、但就十二部中、揀異大乗命之、別無其経、涅槃云(聖行品)、従仏出十二部経、従十二部経出修多羅、従修多羅出方等経、又云(四相品)、半字者、謂九部経、毘伽羅論者、謂方広大乗経、大論云、法華経諸余方等経、何以属累喜王菩薩、普賢経云、此方等経、是諸仏眼、又有力等大乗経典之語、又涅槃有大方等大涅槃之語、皆讃大之辞、非別有其経也、又如其華厳円覚勝*獅子吼皆命以方広、又大論有方広道人、亦皆讃大之辞、其義無別、後世学者、或不知之、以是為理方等、別立時方等者、誤矣、声聞法是二乗小乗、菩薩法是大乗、大乗菩薩乗之上、別有仏乗一乗之説、亦一部立言也、大乗同性経云、所有声聞法、辟支仏法、菩薩法、諸仏法、如是一切諸法、皆悉流入毘盧遮那智蔵大海、智藏大海、乃仏第十地名、是別有仏乗也、楞伽経云、無有乗建立、我説為一乗、引導衆生故、分別説諸乗、梁訳摂論釈云、如来成立正法有三種一小乗、二大乗、三一乗、第三最勝、故名善成立、是別有一乗也、一乗之上、復有無乗、楞伽経云、諸天及梵乗、声聞縁覚乗、諸仏如来乗、我説此諸乗、乃至有心転、諸乗非究竟、若彼心滅尽、無乗及乗者、是別有無乗也、是皆一層層加上者之説也、又按、唐訳摂論釈云、菩薩乗即仏乗、更無有上、是亦一部異言、与上不同、又按、法華経云(方便品)、唯有一乗法、無二亦無三、又云、但以一乗道教他諸菩薩、又云、為此諸仏子、説是大乗経、声聞若菩薩、皆成仏無疑、是菩薩乗仏乗一乗無有別也、又按、涅槃経云、一切衆生、同有仏性、皆同一乗、是兼家一乗之説也

涅槃華厳二喩 第七

涅槃経聖行品曰、譬如従牛出乳、従乳出酪、従酪出生酥、従生酥出熟酥、従熟酥出醍醐、醍醐最上、仏亦如是、従仏出十二部経、従十二部経、出修多羅、従修多羅、出方等経、従方等経、出般若波羅蜜、従般若波羅蜜、出大般若、猶如醍醐、是譬於仏性、比喩、本由無垢蔵王嘆涅槃教最勝、仏乃印可、喩之以五味、以示其最濃也、十二部経、乃一切経典、修多羅、乃所謂別部、大小未揀異之者、般若波羅蜜、乃方等中之粋者、又兼智慧、大般若、乃大円寂、又為般若之粋、皆就其中、揀異其粋者、是乃其本義、然而後世学者、皆誤解云、十二部是華厳、修多羅是阿含、方等是維摩思益等、以合之天台大師五教、十二部修多羅、説既見于上、是何限于華厳阿含、但乳粗于酪、而華厳則冶于鹿苑、是全不合、且原経之旨、五味濃淡、喩教最勝而彼則以合其五教、故云、取之下劣根性、或云、取之相生次第、亦失其義

又華厳経性起品曰、譬如日先照諸大山王、次照大山、次照金剛宝山、然後普照大地、日光不作是年、但地有高下、故照有先後、如来亦然、智慧日輪、常放光明、先照菩薩山王、次照縁覚、次照善根衆生、然後悉照一切衆生、如来本不作是念、但衆生善根不同、故菩薩衆以上、実被之化、従其斯以下、縁覚声聞、随分領承、皆各々成其徳、然而求最高者、固不出初説、最妙者、固不出華厳、是乃経本旨也、然而後世学者、復誤解云、華厳第一照、阿含第二照、方等第三照、法華経涅槃第四第五照、亦以合之天台大師五教、夫華厳之為第一照、固不侍弁、唯阿含之最愚法、而為第二照、又法華涅槃之最妙者、而徒為第四第五照、是甚不円満、是知此喩亦不合、且経所列、但有四照、而彼則合之五時、亦失其義

/要此二喩、涅槃則託之終、以推醍醐之最醇、華厳則託之始、以崇日之先照山王、順逆設喩、各々妙其教、其実胡越之異也、天台大師、合此二喩、以証其五教者、亦豈不知之乎、偶々見此喩有足以使人易了解者、故仮撮以成其趣、非以証其設也、豈如後世学者固執之以五時全出于此二喩者然乎、是則天台大師之本旨也、又或後世以疚天台大師者、亦非也、又如其以有長含四種言論、月燈三昧四種修多羅、涅槃四菩提、因立其四教者、亦唯仮撮以成之已、後世章案等則皆牽強以解其義、亦不合也、妙玄真記云、非以証成、亦有此意、是則得之

神通 第八

竺人之俗、好幻為甚、猶之漢人好文、凡設教設道者、皆必由此以進、苟非由此、民不信也、阿毘曇云、不如支払但以神通、以悦衆生、不能説法、大論云、菩薩為衆生故、取神通現諸希有奇特、令衆生心清浄、又云、鳥無翅、不能高翅、菩薩無神通、不能随意教化衆生、是也、当時諸外道、亦皆以幻而進、迦文*而上之、亦不能不仮之以通

大論云、有悪邪人、懐嫉妬心、誹謗言、仏智慧不出於人、但以幻術惑世、断彼貢高邪慢意故、現無量神通無量智慧力、又云、種々諸物、皆能転変、外道輩転、極久不過七日、諸仏及弟子、変転自在、無有久近、宝積経云、如来為調伏憍慢衆生、故現諸神変、是也、外道謂之幻、仏謂之神通、其実一也、於是、諸弟子伝其道者、亦皆託以進其説、諸蔵所説、十分之九、皆是已

試就十二分教言之、阿浮陀達磨之為未曾有、是真幻也、伊帝越迦之為本事、闍陀伽之為本生、和伽那之為授記、尼陀那之為因縁、皆事之幻也、毘仏略之為方広、説之幻也、是幻居其半矣、 又大衆部、三藏之外、集禁呪経、地持論、四陀羅尼有呪、能起呪術、有神験故、是亦幻也、且諸蔵中、幻喩偏多、何則天竺多見聞、且其所好也、又如諸弟子、託言迦文、以立其言、///

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参照資料 『日本思想大系 富永仲基・山片*桃』岩波書店 1973年8月発行
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公開日20//5年//月//日