イエス伝

8 あの男は気が変になっている

イエスが宣教を始めると、評判は一気にガリラヤを駆けめぐり、パレスティナの各地に及んだ。 「こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエス に従った」✽1と書かれている。 イエスの説教を聞くものは、誰もが異口同音に、まずその調子に、 「権威ある者」として語る✽2その語り方に驚くのである。 これはイエスの由来を伝えており、その顕著な特徴であった。

しかしそれ以上に、うわさがうわさを呼び、人々が群がって来たのは、イエスが霊能を発揮して、集まった会衆の前で、 また群集とともに歩いている途上で、また限られた人々のみいる密室で、あらゆる病気を治したからである。どこへ行って も群衆が押しかけ、病人を連れてくるので食事をとることも 出来ないほどであった✽3。 ナザレにもうわさは広まり、身近にイエスを知っていたナザレの人々は、そのうわさを聞いて信じられず、 「あの男は気が変になっている」✽4 と思ったとしても不思議ではない。悪霊があの男に取り付いているといううわさも流れていた。イエスの家族は心配し、 世間を騒がせているイエスを取り押さえて連れ帰ろうとして、カフェルナウムのイエスの住まいまでやって来るが、 周りが人であふれていて、中に入れない。人に言付けると、イエスから意外な答えが返ってきた。

3 31イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 32大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜して おられます」と知らされると、33イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」 と答え、34周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、 わたしの兄弟がいる。 35神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(『マルコ伝』3:31-3:35)

イエスは、肉親の母と兄弟を拒否して、会おうとしなかったのである。一体どうしてこのようなことが起こりえようか。 家を出てしばらく帰ってこないと思っていたら、イエスはまったく別人になっていて、手の届かないところに行ってしまった のである。どうしてこのように人間が突然変わることができるだろうか。マリアたちは非常に困惑したに違いない。兄弟たちも どうしていいか分からなかったし、理解できなかったに違いない。マリアと兄弟たちは失意のうちに家に帰ったが、その後ずっと イエスの言ったことを反復して考えたことと思う。「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、 また母なのだ」とは、どんなことを意味しているのだろうか。イエスは、肉親の絆より、人間の絆より、地域の絆より、 民族の絆より、国家の絆より、人間がつくったあらゆる絆より、神との絆を優先したのである。これは実に驚くべき考え方である。 当時の多くのユダヤ人たちにとっても、受けいれ難い教えであったと思われます。しかしこの世の終末が迫っている、 「天の国は近づいた」との前提に立って初めて理解できるのである。

イエスの兄弟たちの名前が出てきますが、そのなかで弟のヤコブは史実に残っている人物です ✽5。 イエス亡き後、エルサレムに残っていわばユダヤ教ナザレ派の共同体を作った信者たちのなかに イエスの兄弟たち(複数)がおり、そのなかにヤコブがいます。 どのような経緯で初期共同体に入ってきたか定かではありません。義人ヤコブと呼ばれ、 律法をよく守り清貧の生活を旨としたので、一般のユダヤ人からも尊敬されていたようです。 そのように義人であったことと、多分イエスの兄弟ということもあって、教団のまとめ役ないし代表になっています。 ペトロの後、およそ30年くらいその職にあったと思われます。しかしヤコブは、かってイエスの死刑に深く関わった大祭司アンナスの息子で、 「その気性は性急で、また異常にずぶとくあった」アンナス二世によって、ローマ総督のわずかな空位の期間をねらって、紀元62年に エルサレムで石打の刑にかけられて殉教します。またイエスの母マリアもエルサレムに残り、息子たちと共にナザレ派の 共同体で生活しています。幾人かの兄弟はナザレに残り、家業を継いだようです。


✽1 『マタイ伝』 4:21
✽2 『マタイ伝』 7:29『マルコ伝』1:22『ルカ伝』4:32
✽3 『マルコ伝』 2:16
✽4 『マルコ伝』 3:21 新共同訳であるが、「あの男は気が狂っている」 と訳した方が分かりやすいのではないかと思う。
✽5 『使徒言行録』1-14、15-13、21-18。 また資料編「ラウウス証言」の 「イエスの兄弟ヤコブの死」をご覧下さい。
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公開日2009年8月5日
更新11月23日