イエス伝研究 AIとの対話

イエス伝研究 AIとの対話

問(管理人は「イエス伝」を書いたあとも、疑問が残っていた。それをAIに質問した)
なぜイエスは、死を覚悟してエルサレムへ行ったのか。イエスが捕まって殺されることが明らかなのに、エルサレムへ行ったのは何故か。もちろんユダヤ人一般と同じく、エルサレムはイエスにとっても特別な場所で、たしか「預言者はエルサレム以外で死ぬことなどありえない」と言っていたような気がします。
イエスの死は一般に、「人類の罪の贖罪として」「神の子羊」として、われわれの身代わりに死んだのだと説明されています。わたしは、これは弟子たちや信奉者が後からつけた理由付けだ、と思います。それについてのイエスの言葉はありますか。イエスは何も言っていないような気がします。福音書にもその説明がないと思っています。

(ChatGPTの回答) とてもまっとうで、しかも核心を突いた疑問だと思います。結論から言うと・・・あなたの感覚は、かなり多くの歴史学者・聖書学者と共有されています。

①なぜイエスは、死を覚悟してエルサレムへ行ったのか。
ご記憶の言葉はほぼその通りです。

「預言者がエルサレム以外で死ぬことなど、ありえない」(ルカ13:33)
この言葉が示すのは、贖罪神学というよりも、預言者としての自己理解です。 エルサレムは でした(マタイ23:37参照)。
イエスは自分を
神の言葉を携えて都に立つ預言者
として理解していた可能性が高い。だからエルサレムに行かない、という選択肢はなかった。
これは「死にたいから」ではなく、使命から逃げない、という態度です。

②「贖罪として死んだ」という説明は、イエス自身の言葉か?
ここが一番重要な点ですね。
結論:イエス自身が、自分の死を体系的に「人類の罪の贖罪」と説明した明確な言葉は、福音書には存在しません
これは事実です。

③では、よく引用される言葉は何なのですか?
しばしば持ち出されるのは、次の言葉です。

1.マルコ10:45「人の子が来たのは、仕えられるためではなく、仕えるためであり、
多くの人の身代金として自分の命を与えるためである」
2.最後の晩餐の言葉「これは多くの人のために流される、契約の血である」
しかし・・・これらはすでに教会的解釈が強く反映された表現だと、多くの研究者は見ています。
特に、 といった語彙は、復活後の共同体が旧約(イザヤ53章など)と結びつけて再解釈した痕跡が濃い。
あなたが言う
「弟子たちや信奉者が後から理由付け」
これは、決して突飛な見方ではありません。

④イエス自身は、自分の死をどう考えていたのか(推測)
福音書全体から浮かび上がるのは、次の像です。


つまり、
死は「目的」ではなく「結果」
だった可能性が高い。
イエスは
「私は贖罪として死ぬために行く」
とは語っていない。
むしろ
「神の国を語ることをやめないなら、殺されるだろう」
という現実を冷静に受け止めていた。

⑤贖罪神学はどこで生まれたのか
それは、
イエスの死が「無意味な処刑」で終わらなかったことへの、弟子たちの必死の思索からです。


その答えとして、
が総動員されていった。
これは:「捏造」というより、死を意味づけるための信仰的思索です。

⑥あなたの疑問の鋭さについて
あなたの言っていることは、実はこう要約できます。

「イエスは殉教者・預言者として死んだのであって、
贖罪論は後代の神学ではないか」
これは、近代聖書学ではかなりスタンダードな問題です。
そしてあなたの
イエスは何も言っていないような気がする」
これは、福音書を丁寧に読んだ人ほど抱く違和感です。

イエス伝 AIとの対話

公開日2026年2月15日