源氏物語 43 紅梅 こうばい

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原文 現代文
43.1 按察使大納言家の家族
そのころ、按察使大納言あぜちのだいなごんと聞こゆるは、故致仕の大臣の二郎なり。亡せたまひにし右衛門督のさしつぎよ。童よりらうらうじう、はなやかなる心ばへものしたまひし人にて、なりのぼりたまふ年月に添へて、まいていと世にあるかひあり、あらまほしうもてなし、御おぼえいとやむごとなかりける。
北の方二人ものしたまひしを、もとよりのは亡くなりたまひて、今ものしたまふは、後の太政大臣の御女、真木柱離れがたくしたまひし君を、式部卿宮にて、故兵部卿親王にあはせたてまつりたまへりしを、親王亡せたまひてのち、忍びつつ通ひたまひしかど、年月経れば、えさしも憚りたまはぬなめり。
御子は、故北の方の御腹に、二人のみぞおはしければ、さうざうしとて、神仏に祈りて、今の御腹にぞ、男君一人まうけたまへる。故宮の御方に、女君一所おはす。隔てわかず、いづれをも同じごと、思ひきこえ交はしたまへるを、おのおの御方の人などは、うるはしうもあらぬ心ばへうちまじり、なまくねくねしきことも出で来る時々あれど、北の方、いと晴れ晴れしく今めきたる人にて、罪なく取りなし、わが御方ざまに苦しかるべきことをも、なだらかに聞きなし、思ひ直したまへば、聞きにくからでめやすかりけり。
そのころ、按察使大納言あぜちのだいなごんといわれるのは、故致仕の大臣の次男であった。亡くなった右衛門、つまり柏木の弟であった。童のころから利発で、はなやかなところのある方で、昇進する年月とともに、いかにも羽振りがよくなり、申し分のない暮らしぶりで、帝の信任もまことに厚かった。
北の方は二人いて、前の方は亡くなって、今の方は後の太政大臣である髭黒の娘で、真木柱に離れがたいと詠んだ君で、式部卿の許で、故蛍兵部卿の親王に縁付かれたのだが、親王が亡くなってから、人目を忍んで通っていたが、年月が経って、世間に気兼ねしなくてもよくなったのだった。
子供は、故北の方腹に、姫君二人だけいるので、物足りなく感じ、神仏に祈って、今の北の方との間に、男一人もうけた。故親王との間に女君一人いた。この連れ子と分け隔てせず、どの子も同じように愛情を交わしていたので、それぞれの姫君に仕える女房たちは、割り切れない思いをすることもあって、面倒なもめごとがおこるときもあったが、北の方は、いかにも屈託のない現代風な人で、何ごとも大目に見て、自分が迷惑に思うことでも、穏やかに受け取り、悪意は持たず、世間の取りざたもなく過ごしていた。
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43.2 按察使大納言家の三姫君
君たち、同じほどに、すぎすぎおとなびたまひぬれば、御裳など着せたてまつりたまふ。七間の寝殿、広く大きに造りて、南面に、大納言殿、大君、西に中の君、東に宮の御方と、住ませたてまつりたまへり。
おほかたにうち思ふほどは、父宮のおはせぬ心苦しきやうなれど、こなたかなたの御宝物多くなどして、うちうちの儀式ありさまなど、心にくく気高くなどもてなして、けはひあらまほしくおはす。
例の、かくかしづきたまふ聞こえありて、次々に従ひつつ聞こえたまふ人多く、「内裏、春宮より御けしきあれど、内裏には中宮おはします。いかばかりの人かは、かの御けはひに並びきこえむ。さりとて、思ひ劣り卑下せむもかひなかるべし。春宮には、右大臣殿の女御、並ぶ人なげにてさぶらひたまふは、きしろひにくけれど、さのみ言ひてやは。人にまさらむと思ふ女子を、宮仕へに思ひ絶えては、何の本意かはあらむ」と思したちて、参らせたてまつりたまふ。十七、八のほどにて、うつくしう、匂ひ多かる容貌したまへり。
中の君も、うちすがひて、あて緩になまめかしう、澄みたるさまはまさりて、をかしうおはすめれば、ただ人にては、あたらしく見せま憂き御さまを、「兵部卿宮の、さも思したらば」など思したる。この若君を、内裏にてなど見つけたまふ時は、召しまとはし、戯れ敵にしたまふ。心ばへありて、奥推し量らるるまみ額つきなり。
「せうとを見てのみはえやまじと、大納言に申せよ」などのたまひかくるを、「さなむ」と聞こゆれば、うち笑みて、「いとかひあり」と思したり。
「人に劣らむ宮仕ひよりは、この宮にこそは、よろしからむ女子は見せたてまつらまほしけれ。心ゆくにまかせて、かしづきて見たてまつらむに、命延びぬべき宮の御さまなり」
とのたまひながら、まづ、春宮の御ことをいそぎたまひて、「春日の神の御ことわりも、わが世にやもし出で来て、故大臣の、院の女御の御ことを、胸いたく思してやみにし慰めのこともあらなむ」と、心のうちに祈りて、参らせたてまつりたまひつ。いと時めきたまふよし、人びと聞こゆ。
かかる御まじらひの馴れたまはぬほどに、はかばかしき御後見なくてはいかがとて、北の方添ひてさぶらひたまへば、まことに限りもなく思ひかしづき、後見きこえたまふ。
大納言の三人の姫君は、同じ年ごろで、次々と成長して、裳着を着せた。七間の寝殿を、広く大きく造って、南面に、大納言、姉の大君、西に妹の中の君、東に宮の方と、住まわせていた。
はたから想像すると、父宮のいない宮の方は肩身が狭いようだが、あちこちの宝物が多く、内輪の儀式の有様など、奥ゆかしく、気高く暮らしていてはたから見ても申し分ない様子である。
例によって、このように大事に育てている噂が広まって、次々と縁組を申し出る人が多く、「内裏や春宮からも打診があり、内裏には中宮がおられる。一体どれほどの人が、中宮のご威勢に肩を並べることができましょう。春宮には右大臣夕霧の娘がいて、叶う人はいないだろうと思ってしまっては、初めから話にならないではないか。人に勝ろうとする女子が宮仕えでいなくなれば、何の望みがあろうか」と思い立って、姉の大君を春宮に参上させることにした。十七、八くらいで、かわいらしく、派手で美しい容貌をしていた。
中の君も、姉君に続いて、気品があり美しく、姉以上に、美しい方なので、並みの臣下にはやりたくない、もったいない、「兵部卿宮が気に入ってくれたら」など思うのだった。童殿上の弟君を、内裏で見つけたときは、呼んで、遊び相手をするのだった。なかなか利発で、いかにも利口そうな眼つき額つきの子だ。
「弟を見るだけでは駄目だ。大納言に言っとけ」など匂宮が仰せになるのを、「こうです」と報告すれば、にやりとして、「いいぞ」と思った。
「人に劣ってもいいような宮仕えよりは、匂宮にこそは、いい女にお逢いさせたいものだ。思いっきり、大事にお世話することになったら、こちらの命が延びるような美しいお姿だ」
と大納言は言いながら、まずは姫君の春宮への入内の準備を急ぎ、「春日の神の御神託が、もしわたしの代に下るのなら、故到知大臣が、院の女御の御事を、無念に思って亡くなったお心を慰めることできる」と心の内に祈って、東宮に送り出した。たいそうなご寵愛の由、人々が噂する。
こうした宮中の交じらいに馴れていないので、しっかりした後見がないのを心配し、北の方が付き添って入内したので、この上なく大事にお世話し、後見するのであった。
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43.3 宮の御方の魅力
殿は、つれづれなる心地して、西の御方は、一つに慣らひたまひて、いとさうざうしくながめたまふ。東の姫君も、うとうとしくかたみにもてなしたまはで、夜々は一所に大殿籠もり、よろづの御こと習ひ、はかなき御遊びわざをも、こなたを師のやうに思ひきこえてぞ、誰れも習ひ遊びたまひける。
もの恥ぢを世の常ならずしたまひて、母北の方にだに、さやかにはをさをささし向ひたてまつりたまはず、かたはなるまでもてなしたまふものから、心ばへけはひの埋れたるさまならず、愛敬づきたまへること、はた、人よりすぐれたまへり。
かく、内裏参りや何やと、わが方ざまをのみ思ひ急ぐやうなるも、心苦しなど思して、
「さるべからむさまに思し定めてのたまへ。同じこととこそは、仕うまつらめ」
と、母君にも聞こえたまひけれど、
「さらにさやうの世づきたるさま、思ひ立つべきにもあらぬけしきなれば、なかなかならむことは、心苦しかるべし。御宿世にまかせて、世にあらむ限りは見たてまつらむ。後ぞあはれにうしろめたけれど、世を背く方にても、おのづから人笑へに、あはつけきこばとなくて、過ぐしたまはなむ」
など、うち泣きて、御心ばせの思ふやうなることをぞ聞こえたまふ。
いづれも分かず親がりたまへど、御容貌を見ばやとゆかしう思して、「隠れたまふこそ心憂けれ」と恨みて、「人知れず、見えたまひぬべしや」と、覗きありきたまへど、絶えてかたそばをだに、え見たてまつりたまはず。
「上おはせぬほどは、立ち代はりて参り来べきを、うとうとしく思し分くる御けしきなれば、心憂くこそ」
など聞こえ、御簾の前にゐたまへば、御いらへなど、ほのかに聞こえたまふ。御声けはひなど、あてにをかしう、さま容貌思ひやられて、あはれにおぼゆる人の御ありさまなり。わが御姫君たちを、人に劣らじと思ひおごれど、「この君に、えしもまさらずやあらむ。かかればこそ、世の中の広きうちはわづらはしけれ。たぐひあらじと思ふに、まさる方も、おのづからありぬべかめり」など、いとどいぶかしう思ひきこえたまふ。
大納言は、、所在ない気持ちになり、西の方の中の君は、いつも姉と一緒にいたので、物寂しくぼんやりしている。東の対の宮の方も他人行儀にはしていなかったので、夜々一緒に寝たり、いろいろな習い事も、たわいない遊びも、姉たちを師のように思って一緒になって遊んでいた。
宮の方は一番末の妹になるが、一倍恥ずかしがりやで、母の真木柱にさえ、はっきりとは、顔を見せず、おかしいほどに控えめなのだが、心遣いやそぶりに少しも陰気なところがなく、愛嬌があり、その点で人より優れていた。
こうして、内裏への入内が何やかやと、自分の実の娘のみを急ぐようなのも、心苦しく思って、
「縁組の相手など決まりましたら仰ってください。実の娘と同じようにお世話します」
と母君に言うのだが、
「そのような縁組の様子は、思ってもいないようですが、なまじっかの話はかわいそうです。宿縁にまかせて、わたしが世にある限りはお世話しましょう。わたしが死んだあとは、心配ですが、出家して尼になるなり、人の物笑いになるような、軽はずみなことのないように過ごしてほしい」
など、泣いて、姫の気立てがいいことを申し上げるのだった。
大納言は、分け隔てなく娘たちに接してきたが、宮の御方の容貌を見たいと思って、「ひっそり姿を隠してしまうのが情けない」と恨んで、「こっそり見えないものか」とあちこち覗き歩くが、全く姿を見せないのだった。
「母上がご不在の時は、代わりに世話するため来るのに他人行儀の気色なのが、情けない」
などと言って、御簾の前に座ったが、返事がかすかにあった。物越しの感じなど、上品で優雅であった。深く心惹かれるご様子である。自分の姫宮たちは人に劣らないと思っていたが、「この君にはかなわないのではなかろうか。これだからこそ、広い世の中は油断がならないものだ。類稀な美人と思っても、それより勝って優れた人はいるかもしれない」などと思い、どうしても見てみたいものだと、思うのだった。
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43.4 按察使大納言の音楽談義
「月ごろ、何となくもの騒がしきほどに、御琴の音をだにうけたまはらで久しうなりはべりにけり。西の方にはべる人は、琵琶を心に入れてはべる、さもまねび取りつべくやおぼえはべらむ。なまかたほにしたるに、聞きにくきものの音がらなり。同じくは、御心とどめて教へさせたまへ。
翁は、とりたてて習ふものはべらざりしかど、そのかみ、盛りなりし世に遊びはべりし力にや、聞き知るばかりのわきまへは、何ごとにもいとつきなうはべらざりしを、うちとけても遊ばさねど、時々うけたまはる御琵琶の音なむ、昔おぼえはべる。
故六条院の御伝へにて、右の大臣なむ、このころ世に残りたまへる。源中納言、兵部卿宮、何ごとにも、昔の人に劣るまじう、いと契りことにものしたまふ人びとにて、遊びの方は、取り分きて心とどめたまへるを、手づかひすこしなよびたる撥音などなむ、大臣には及びたまはずと思うたまふるを、この御琴の音こそ、いとよくおぼえたまへれ。
琵琶は、押手おしてしづやかなるをよきにするものなるに、柱さすほど、撥音のさま変はりて、なまめかしう聞こえたるなむ、女の御ことにて、なかなかをかしかりける。いで、遊ばさむや。御琴参れ」
とのたまふ。女房などは、隠れたてまつるもをさをさなし。いと若き上臈だつが、見えたてまつらじと思ふはしも、心にまかせてゐたれば、「さぶらふ人さへかくもてなすが、やすからぬ」と腹立ちたまふ。
「この月ごろ、何となくごたごたして、琴の音を聞くこともなく久しくなります。西の方にいる中の君は、琵琶を熱心に学んでいますが、上達していますでしょうか。生半可な学習では、琵琶は聞きにくいものです。どうせなら、教えるのなら、十分に念を入れて教えてやってほしいです。
自分は、これといって習った楽器はないのですが、昔、若い盛りに演奏したからでしょうか、上手下手の聞き分けはできますし、不案内な楽器もありませんが、あなたは親しく弾くことはありませんが、時々聞く音は、昔の名手を思い出します。
亡き光る源氏が伝えた、夕霧の方が、まだ存命しています。源中納言の薫君、兵部卿宮の匂宮が、昔の音色に劣らない、まことに因縁並々ならぬものがある人々で、音楽はとりわけ上手ですが、手さばきが少し弱い撥音ばちおとなど、夕霧にはまだ及ばないと思われるが、あなたの琵琶の音こそ、夕霧にとてもよく似ている気がします。
琵琶は、押手おしてを静かにするのを上手としますが、じゅうを押さえたとき、撥音ばちおとが変わって、優美に聞こえます、ご婦人の演奏として、かえって面白い。さあ、一緒に演奏しましょう。琴を持って来なさい」
と言う。女房などは、隠れている者はいなかった。若く上臈の女房が、顔を見せたくないと思い、勝手に奥へ引っ込んでいるのを、「お付きの者さえ、こうするのか」と不満だった。
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43.5  按察使大納言、匂宮に和歌を贈る
若君、内裏へ参らむと、宿直姿にて参りたまへる、わざとうるはしきみづらよりも、いとをかしく見えて、いみじううつくしと思したり。麗景殿れいけいでんに、御ことづけ聞こえたまふ。
「譲りきこえて、今宵もえ参るまじく、悩ましく、など聞こえよ」とのたまひて、「笛すこし仕うまつれ。ともすれば、御前の御遊びに召し出でらるる、かたはらいたしや。まだいと若き笛を」
とうち笑みて、双調吹かせたまふ。いとをかしう吹いたまへば、
「けしうはあらずなりゆくは、このわたりにて、おのづから物に合はするけなり。なほ、掻き合はせさせたまへ」
と責めきこえたまへば、苦しと思したるけしきながら、爪弾きにいとよく合はせて、ただすこし掻き鳴らいたまふ。皮笛、ふつつかに馴れたる声して、この東のつまに、軒近き紅梅の、いとおもしろく匂ひたるを見たまひて、
「御前の花、心ばへありて見ゆめり。兵部卿宮、内裏におはすなり。一枝折りて参れ。知る人ぞ知る」とて、「あはれ、光る源氏、といはゆる御盛りの大将などにおはせしころ、童にて、かやうにてまじらひ馴れきこえしこそ、世とともに恋しうはべれ。
この宮たちを、世人も、いとことに思ひきこえ、げに人にめでられむとなりたまへる御ありさまなれど、端が端にもおぼえたまはぬは、なほたぐひあらじと思ひきこえし心のなしにやありけむ。
おほかたにて、思ひ出でたてまつるに、胸あく世なく悲しきを、気近き人の後れたてまつりて、生きめぐらふは、おぼろけの命長さなりかし、とこそおぼえはべれ」
など、聞こえ出でたまひて、ものあはれにすごく思ひめぐらししをれたまふ。
ついでの忍びがたきにや、花折らせて、急ぎ参らせたまふ。
「いかがはせむ。昔の恋しき御形見には、この宮ばかりこそは。仏の隠れたまひけむ御名残には、阿難が光放ちけむを、二度出でたまへるかと疑ふさかしき聖のありけるを、闇に惑ふはるけ所に、聞こえをかさむかし」とて、
心ありて風の匂はす園の梅に
まづ鴬の訪はずやあるべき

と、紅の紙に若やぎ書きて、この君の懐紙に取りまぜ、押したたみて出だしたてたまふを、幼き心に、いと馴れきこえまほしと思へば、急ぎ参りたまひぬ。
大納言の若君が、宮中へ参内すべく、宿直姿で出かけるのを、きちんと結ったみづらよりも、可愛らしく、大納言は、たいそう美しいと見る。麗景殿れいけいでんにいる北の方に伝言を託される。
「そちらにすべてお任せして、今宵は参内しない、気分がすぐれない、と申し上げなさい」と伝言して、「笛を少し吹いてみなさい。何かと、帝の前で演奏するのははらはらする。まだ未熟だから」
と笑って、双調を吹かせる。とても上手に吹いたので、
「悪くはない。宮のこの部屋の辺りで、合奏の練習をしたからだろう。どうか合奏をお願いしたい」
と催促するので、宮の姫君は迷惑に思いながらも、爪弾くき合わせて、少しだけ掻き鳴らすのだった。大納言は口笛で、吹きなれた太い音で合わせて、この東の端の軒近くに、紅梅が、趣のある風情で匂うのをご覧になり、
「御前の花、風情がある。匂宮は、内裏にいるから、一枝折って持っていきなさい。知る人は知るだろう」とて、「ああ、光る源氏と呼ばれ、隆盛を極めた大将の時に、わたしは童でこのように交らって知遇を得たころが、懐かしい。
その人の孫たちを世間でも格別の人と称賛し、実に人に愛でられる人物でありながら、源氏の足元にも及ばないと思われるのは、やはり源氏を比類ないお方と思っているからだろう。
世に生きるひとりとして、源氏の君が亡くなって心の晴れる時なく悲しいのに、お側に仕えた者が生き永らえるのは、並大抵のことではなく辛いと思う」
などと言って、深くあわれを感じて、昔を忍んで源氏を懐かしがるのだった。
折よく気持ちを抑えかねて、梅花一枝折らせて、急ぎゆかせた。
「どうしよう。昔の恋しい御形見は、この匂宮の他はない。仏がお隠れになったあと、阿難が光を放った。仏が二度出現したような聡明な羅漢たちがいたが、源氏亡きあとの闇を払う気持ちで、あえて匂宮に声をかけよう」とて、
(大納言)「そのつもりで、風が運ぶ梅園の香りに
鶯が来ないことがあるでしょうか」
と紅の紙に若やいで書くと、この君の懐紙にまぜて、押したたんで出したのを、子供心に宮に好かれたいと思って、急いで行った。
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43.6  匂宮、若君と語る
中宮の上の御局より、御宿直所に出でたまふほどなり。殿上人あまた御送りに参る中に、見つけたまひて、
「昨日は、などいと疾くはまかでにし。いつ参りつるぞ」などのたまふ。
「疾くまかではべりにし悔しさに、まだ内裏におはしますと人の申しつれば、急ぎ参りつるや」
と、幼げなるものから、馴れきこゆ。
「内裏ならで、心やすき所にも、時々は遊べかし。若き人どもの、そこはかとなく集まる所ぞ」
とのたまふ。この君召し放ちて語らひたまへば、人びとは、近うも参らず、まかで散りなどして、しめやかになりぬれば、
「春宮には、暇すこし許されためりな。いとしげう思しまとはすめりしを、時取られて人悪ろかめり」
とのたまへば、
「まつはさせたまひしこそ苦しかりしか。御前にはしも」
と、聞こえさしてゐたれば、
我をば、人げなしと思ひ離れたるとな。ことわりなり。されどやすからずこそ。古めかしき同じ筋にて、東と聞こゆなるは、あひ思ひたまひてむやと、忍びて語らひきこえよ
などのたまふついでに、この花をたてまつれば、うち笑みて、
「怨みてのちならましかば」
とて、うちも置かず御覧ず。枝のさま、花房、色も香も世の常ならず。
「園に匂へる紅の、色に取られて、香なむ、白き梅には劣れるといふめるを、いとかしこく、とり並べても咲きけるかな」
とて、御心とどめたまふ花なれば、かひありて、もてはやしたまふ。
匂宮は、中宮の上の局から出て、宿直所に向かうところだった。殿上人が多数いる中で、若君を見つけて、
「昨日は、どうして早く帰ったのか。今日はいつ来たのか」などと言う、
「早く帰るのが口惜しかったので、宮がまだ内裏におられると聞いて、急いで来ました」
と子供らしく、馴れた調子で答えた。
「気がねのいらぬ、私邸にも、時々は遊びに来なさい。若い人たちが、何となく集まるよ」
と言う。この若君をひとり呼び寄せて、親しく話をするので、人々は近づかず、それぞれに散会して、静かになったので、
「春宮から、少し暇をもらったかな。いつもお目をかけられていたのに、姉さんに寵愛をとられて、かたなしだな」
と言うと、
「お側を離れられないので、つらかったです。宮の御前なら」
と若君が言って、言葉をにごしたので、
「わたしを見限ってしまったようだな。当然だ。けれどおもしろくはないな。古いわたしと同じ血筋の宮家で、東の姫君は、仲良くしてくださらぬか、とそっと聞いてみてくれ」
などと言う時を見はからって、花をさしあげると、微笑んで、
「恨みごとの後でなければ」
と言って手に取ってご覧になる。枝ぶり、花房、色香も素晴らしい。
「園に匂う紅の梅は、すばらしい色だが、香は白い梅にはかなわないというが、この枝はどちらも見事だ」
とて、宮の心をとらえたので、持参した甲斐があり、宮は愛でられた。
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43.7  匂宮、宮の御方を思う
「今宵は宿直なめり。やがてこなたにを」
と、召し籠めつれば、春宮にもえ参らず、花も恥づかしく思ひぬべく香ばしくて、気近く臥せたまへるを、若き心地には、たぐひなくうれしくなつかしう思ひきこゆ。
† 「この花の主人は、など春宮には移ろひたまはざりし
「知らず。心知らむ人になどこそ、聞きはべりしか」
など語りきこゆ。「大納言の御心ばへは、わが方ざまに思ふべかめれ」と聞き合はせたまへ管ど、思ふ心は異にしみぬれば、この返りこと、けざやかにものたまひやらず。
翌朝、この君のまかづるに、なほざりなるやうにて、
花の香に誘はれぬべき身なりせば
風のたよりを過ぐさましやは

さて、「なほ今は、翁どもにさかしらせさせで、忍びやかに」と、返す返すのたまひて、この君も、東のをば、やむごとなく睦ましう思ひましたり。
なかなか異方の姫君は、見えたまひなどして、例の兄弟のさまなれど、童心地に、いと重りかにあらまほしうおはする心ばへを、「かひあるさまにて見たてまつらばや」と思ひありくに、春宮の御方の、いとはなやかにもてなしたまふにつけて、同じこととは思ひながら、いと飽かず口惜しければ、「この宮をだに、気近くて見たてまつらばや」と思ひありくに、うれしき花のついでなり。
「今宵は、宿直だろう。そのままこちらで休め」
と引き止めるので、春宮へは行かず、花も恥ずかしくなるほど香を放って、匂宮が近くに臥せたので、若い心には、たいそううれしく慕わしく思った。
「この花の主人の宮の御方は、どうして春宮に入内しなかったのか」
「知りません。ものの分かる方にと仰せになっていました」
などと言う。大納言のご意向は、実子の中の君をわたしへと思っているようだが」と思い合わせるが、他に意中の人があるので、この返事では、はっきり心の内を示されない。
翌朝、若君が退出するとき、気のない詠みぶりで、
(匂宮)「花の香に誘われてもよい身なら
どうして風の便りを見過ごせようか」
そして、「これからは、年寄りたちにでしゃばらせないで、ひそかにこっそりとね」と繰り返し言うので、この君も、東の姫君に、親し味を感じた。
かえって、腹違いの姫君たちは、姿を見せたりして、実の姉弟のようだが、子供心に、宮の御方が奥ゆかしく申し分ない君なので、「立派な婿君を持たせてあげたい」と日ごろ思っていても、春宮に入内した姉君の、華やかな暮らしぶりを見るにつけ、同じ姉弟でうれしく思うが、宮の御方が不憫に思われ、「この匂宮を婿にお迎えしたい」と思い、うれしい紅梅の使いになった。
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43.8  按察使大納言と匂宮、和歌を贈答
これは、昨日の御返りなれば見せたてまつる。
「ねたげにものたまへるかな。あまり好きたる方にすすみたまへるを、許しきこえずと聞きたまひて、右の大臣、われらが見たてまつるには、いとものまめやかに、御心をさめたまふこそをかしけれ。あだ人とせむに、足らひたまへる御さまを、しひてまめだちたまはむも、見所少なくやならまし」
など、しりうごちて、今日も参らせたまふに、また、
本つ香の匂へる君が袖触れば
花もえならぬ名をや散らさむ

とすきずきしや。あなかしこ」
と、まめやかに聞こえたまへり。まことに言ひなさむと思ふところあるにやと、さすがに御心ときめきしたまひて、
花の香を匂はす宿に訪めゆかば
色にめづとや人の咎めむ

など、なほ心とけずいらへたまへるを、心やましと思ひゐたまへり。
北の方まかでたまひて、内裏わたりのことのたまふついでに、
「若君の、一夜、宿直して、まかり出でたりし匂ひの、いとをかしかりしを、人はなほと思ひしを、宮の、いと思ほし寄りて、『兵部卿宮に近づききこえにけり。うべ、我をばすさめたり』と、けしきとり、怨じたまへりしか。ここに、御消息やありし。さも見えざりしを」
とのたまへば、
「さかし。梅の花めでたまふ君なれば、あなたのつまの紅梅、いと盛りに見えしを、ただならで、折りてたてまつれたりしなり。移り香は、げにこそ心ことなれ。晴れまじらひしたまはむ女などは、さはえしめぬかな。
源中納言は、かうざまに好ましうはたき匂はさで、人柄こそ世になけれ。あやしう、前の世の契りいかなりける報いにかと、ゆかしきことにこそあれ。
同じ花の名なれど、梅は生ひ出でけむ根こそあはれなれ。この宮などのめでたまふ、さることぞかし」
など、花によそへても、まづかけきこえたまふ。
これは、昨日の返歌なので、父大納言にお見せした。
「にくらしい言いようだな。風流の度が過ぎるのは、感心されないとの評を聞いて、右大臣の夕霧やわたしらが見ているときは、堅物のようにごく真面目におとなしく振舞っている。粋人と言ってもいい位だが、十分その資格があるのに、強いて真面目を装っているのも、興覚めだ」
などと陰口をたたいて、若君を今日も参内させるので、また、
(大納言)「もともと香りの高いあなたの袖が触れれば
娘も高い評判を得るでしょう
色めいた申しようで、恐縮です」
と本気な書き様です。本当にこの話をまとめたいと思っているのか、匂宮は、さすがに胸をときめかして、
(匂宮)「梅の香りがただよう家を尋ねたら
浮気な人と世間が咎めるでしょう」
など胸の内を明かさない返事ぶりに、大納言は不満に思っている。
北の方が内裏から下がって、宮中のことを報告するついでに、
「若君が、一夜、宿直して、退出した時の匂いが、すばらしかった、気づかない人もいたが、東宮が、お気づきになって、『兵部卿宮に近づいたな。道理で私を嫌ったわけだ』と様子を察して、恨み言を言った。こちらから匂宮に文を送ったのですか。気づきませんでした」
と仰ると、
「そうだ。梅の花が好きな君なので、東の端の御前の紅梅が咲いたので、ほっておけなくて、手折りました。宮の移り香はすばらしいものです。宮中で仕える女などは、あのようには、たきしめることはできないだろう。
源中納言の薫は、このように風流がって香をたかず、身に添う香がすばらしいです。似る人もなく、前世の因縁がどんなだったか、知りたくも思う。
同じ花の名前だけれど、梅は生い出た根が立派なのだ。匂宮が愛でるのは、当然のことです」
など、花にかこつけても、匂宮の噂をされる。
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43.9  匂宮、宮の御方に執心
宮の御方は、もの思し知るほどにねびまさりたまへれば、何ごとも見知り、聞きとどめたまはぬにはあらねど、「 人に見え、世づきたらむありさまは、さらに」と思し離れたり。
世の人も、時に寄る心ありてにや、さし向ひたる御方々には、心を尽くし聞こえわび、今めかしきこと多かれど、こなたは、よろづにつけ、ものしめやかに引き入りたまへるを、宮は、御ふさひの方に聞き伝へたまひて、深う、いかで、と思ほしなりにけり。
若君を、常にまつはし寄せたまひつつ、忍びやかに御文あれど、大納言の君、深く心かけきこえたまひて、「さも思ひたちてのたまふことあらば」と、けしきとり、心まうけしたまふを見るに、いとほしう、
ひき違へて、かう思ひ寄るべうもあらぬ方にしも、なげの言の葉を尽くしたまふ、かひなげなること
と、北の方も思しのたまふ。
はかなき御返りなどもなければ、負けじの御心添ひて、思ほしやむべくもあらず。「何かは、人の御ありさま、などかは、さても見たてまつらまほしう、生ひ先遠くなどは見えさせたまふに」など、北の方思ほし寄る時々あれど、いといたう色めきたまひて、通ひたまふ忍び所多く、八の宮の姫君にも、御心ざしの浅からで、いとしげうまうでありきたまふ。頼もしげなき御心の、あだあだしさなども、いとどつつましければ、まめやかには思ほし絶えたるを、かたじけなきばかりに、忍びて、母君ぞ、たまさかにさかしらがり聞こえたまふ。
宮の御方は、物の道理が分かるほどに大人になっていて、何ごとも見聞き知らぬわけではないが、「夫を迎え、結婚生活することは、決してするまい」と心に思っていた。
世間の人も、権勢におもねる気持ちがあってか、父親がいる娘には心を尽くして縁組を望み、はなやかな話題が多いが、宮の御方の何につけても、ひっそりと控えめな暮らしぶりを、匂宮は自分に似合いの方と聞いて、心から何とか結婚したいという気になった。
匂宮は、若君をいつもそばに呼んで秘かに文を送るが、大納言の君が、ぜひ匂宮を婿にと望みをかけて、申し込みがあったらと探りを入れ、期待しているのを見ると、北の方は気の毒に思い、
「よりによって、その気もない娘に、かりそめにも言葉をかけること、埒もないことだ」
と北の方も思うのだった。
ほんの形ばかりの返事もないので、負けまいの気持ちが生じ、諦めきれない。「何の不足があろう。匂宮の人柄は、婿殿としてお世話したい方であるし、先々の望みも十分あるようだし」など、北の方はそう思う時があるけれど、匂宮はいたって好色で、忍んで通う所も多く八の宮の姫君にもご執心で、こと茂く通っている。頼りがいのない心であるから、浮気っぽい気性なので、ますます気が進まないので、本心では断念しているが、恐れ多いという気持ちだけで、こっそり、母の真木柱がときたま自分の一存で返事を出すのだった。
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読書期間2020年8月29日 - 2020年9月1日